すべてはこの一枚から。「提供価値」規定シート。
「提供価値を定義する」というと難しく感じるかもしれませんが、内容はいたってシンプルです。プロジェクトの特性によってフォーマットは異なりますが、私たちがプロジェクトを支援する場合、必ずこの提供価値に立ち返るところから始めます。

このシートは、製品やサービスを構成する4つの重要な要素を、直感的に結びつけられるように設計されています。
A 顧客の未充足や願い(ペイン&ゲイン)
すべての出発点は、顧客への深い理解です。顧客は日々、どんなことに悩み、ストレスを感じているのか(ペイン)。そして、心の奥底では、どんな状態になることを切望しているのか(ゲイン)。ここで重要なのは、製品の機能に対する直接的な不満だけでなく、その背景にある「もっとこうだったら良いのに」という情緒的な側面まで想像を巡らせることです。
B 顧客
その願いを抱えているのは、一体どんな状況にいる誰なのでしょうか。私たちは、性別や年齢といったデモグラフィック情報だけで顧客を捉えることはしません。「理想と現実のギャップに悩む、共働きの親」「キャリアの岐路に立ち、新たな一歩を踏み出したいビジネスパーソン」のように、その人が置かれた状況や課題が浮かび上がる言葉で定義します。
C 具体的な商品やサービス
顧客の課題とインサイトが見えたら、「では、私たちは具体的に何を提供できるのか?」という製品やサービスと接続していきます。これはあくまで、価値を届けるための具体的な「手段」です。
D 提供価値
そして、最も重要なのがこの項目です。その商品やサービスを通じて、私たちは顧客にどんなポジティブな変化をもたらすのか。これこそが製品やサービスの「目的」であり、顧客が対価を払う本当の理由です。「便利になる」「時間が短縮できる」といった機能的な価値の一歩先にある、「罪悪感から解放され、心に余裕が生まれる」「自分に自信が持てるようになる」といった、顧客の感情を動かす価値まで言語化することを目指します。
【記入例】「ミールキット」は、親の「心の余裕」を売っている
では、このシートを実際にどう使うのか、多忙な共働き世帯をターゲットにしたミールキットサービスを例に考えてみましょう。
A 顧客の未充足や願い(ペイン&ゲイン)
子どもには、栄養バランスの取れた美味しい手料理を食べさせてあげたい。でも、平日は仕事と育児に追われ、調理に時間をかける余裕がない。結果、お惣菜や冷凍食品に頼ってしまい、親としてジレンマを抱えている。
B 顧客
食に対する理想と、多忙な現実のギャップに悩む、共働きの親
C 具体的な商品やサービス
15分で栄養士監修の主菜と副菜が完成する、高品質な食材とレシピのセット
D 提供価値
『今日も、ちゃんと手作りできた』という小さな達成感と、それによって生まれる平日夜の心の余裕
いかがでしょうか。このように一枚のシートで思考を整理することで、このビジネスは単なる「時短料理キット」を売っているのではないことが明確になります。このサービスが本当に提供しているのは、「親のジレンマを解消し、家族と穏やかに向き合うための心の余裕」という価値であり、顧客はこの価値に対価を払っているのです。
この「提供価値」がチーム全員の共通認識となれば、デザインすべき体験(UX)の解像度は大幅に向上します。例えば、注文サイトのUIは「時短」を訴求するだけでなく、「これなら私にもできるかも」という安心感を与えるデザインにすべきかもしれません。届ける箱には、子どもが喜ぶちょっとした工夫を凝らすことで、「楽しい食体験」という価値を補強できるかもしれません。サービスの仕様からインタフェースのデザインにわたるまで、あらゆる選択の判断基準となり、「心の余裕を提供する」という北極星に向かって、一貫性をもたらすことができます。
抽象と具体の「いい塩梅」
このフレームワークは非常にシンプルですが、実際にやってみると筆が止まってしまう、チームの中で認識が異なっていた、というケースは多くあります。そして、提供価値がなんだかしっくりこない、という状況もよくあります。どのようにすれば、納得感のある提供価値を定義することができるでしょうか。
ポイントは、抽象と具体のバランスにあります。抽象的な提供価値は総花的で、「そりゃそうだよね」という印象を受けるし、個別具体すぎる提供価値は「ほんとに?」という印象を受けます。
さきほどのミールキットで例えてみましょう。提供価値を「共働き夫婦の利便性向上」とするとどうでしょうか。間違ったことは言っていませんが、利便性向上という言葉は抽象的すぎるので、このサービスだからこそ解決したい、解決できるものは何なのかが見えてきません。では「健康を気遣って手作りしか食べない人の手間を減らす」を提供価値とするとどうでしょう。確かにそういった提供価値はありそうですが、顧客像が限定的で他の人はどうするの?と感じるでしょう。
提供価値は抽象的すぎると「そりゃそうだよね」となるし、具体的すぎると「そうなの?」となり、いずれもなんだか納得感を共有できません。優れた提供価値はこの抽象度の塩梅が適当であり、「たしかにそうだよね」という印象を持てるものです。もしなかなか納得できる提供価値を言語化できなければ、抽象と具体をいったりきたりしながら、チームの中で「確かにそうだよね」と思えるまで議論を尽くすことです。

提供価値を導くための「デザインリサーチ」
議論を尽くし、チームの中でこれだ!と信じられる答えが見つかったとしましょう。単に利便性が向上するだけでなく、顧客にとってより価値のある製品やサービスへ成長する足がかりとなることでしょう。
ただ、その提供価値は顧客が本当に求めているものでしょうか。せっかく納得感のある提供価値を規定できたとしても、それが本当に求められていないものであれば見直さなければなりません。
提供価値の確からしさの精度を高めるには、顧客本人に話を聞くのがいちばんです。そこで単刀直入に、「こんな課題ありますか?」「こんな提供価値は嬉しいですか?」と聞きたくなるものですが、その質問では望む答えは得られません。顧客は自分の真の課題や欲しいものを自ら認識していることはまずありませんので、答えられないものを問うても当然答えは得られないからです。
ではどのような質問をするか。それは事実をつぶさに聞くことです。さきほどのミールキットの例であれば、「普段の勤務時間を教えてください」「この1週間の夕食の内容を教えてください」といった内容です。こうした行動の事実を通して調査する側がその背景にある心理を読み取っていきます。つまり、答えそのものを顧客から聞き出すのではなく、答えはあくまで調査する側が解釈するのであって、あくまでその解釈の精度を高めるための情報を引き出すのです。
こうした調査のアプローチや手法は「デザインリサーチ」と呼ばれます。調査によって得られた解釈を提供価値と照らし合わせ、顧客が本当に求めているものであると確信できれば、単なる利便性の改善を超えた、ビジネスインパクトにつながる指針となることでしょう。
まとめ:価値を定義し、体験をデザインする
ペルソナやジャーニーマップといったUXデザインのプロセスや手法自体は取り入れやすいため、これらを用いることで一定の体験の改善は可能です。ただ、優れた体験(UX)を生み出そうと思えば思うほど、体験自体がゴールなのではなく、体験の先にある顧客にとっての「提供価値」は何なのかということにいずれ立ち戻ることになります。
そしてこの「提供価値」を簡単に導き出せることは稀です。プロジェクトメンバー間でもちょっとずつ認識が異なっていたり、これだ!と信じられるものにたどり着くには調査やプロトタイプ、ワークショップによる深い議論が必要となります。
もし、提供価値を導くことに難しさを感じたり、客観的な視点が必要だとお考えなら、いつでも私たちにご相談ください。適切なプロジェクトを設計し、そのプロセスに共創的に伴走させていただきます。
よくある質問
Q1. ユーザーからの要望どおりに機能を改善しましたが、利用率が上がりません。何が足りないのでしょうか?
A1. 顧客の「要望(機能)」には応えられていても、その奥にある「真の願望(提供価値)」に応えられていない可能性があります。記事内でも触れていますが、UXデザインにおいて「使いやすさ」はあくまで手段であり、ゴールではありません。顧客がその機能を通じて本当に得たい本質的な価値(提供価値)が定義できていないと、表面的な改善にとどまってしまい、顧客の定着にはつながらないケースが多く見られます。
Q2. B2Bの業務システムを担当しています。「情緒的な価値」や「心の動き」はBtoC特有の話ではありませんか?
A2. いいえ、B2Bや業務システムであっても、それを使うのは「人」であり、そこには必ず感情の動きがあります。例えば、「ミスなく処理できる」という機能の先には、「業務上のプレッシャーから解放される」「プロとして自信を持って仕事ができる」といった情緒的な価値が存在します。対象がビジネスパーソンであっても、その人が置かれた状況や課題を深く洞察し、機能的価値の一歩先にある価値を言語化することは、選ばれ続けるプロダクト作りにおいて非常に重要です。
Q3. 「提供価値」を決める際、どうしても社内の事情や作り手の思い込みが入ってしまいます。客観的に判断するにはどうすれば良いですか?
A3. 思い込みを排除するためには、顧客の「事実」に目を向ける「デザインリサーチ」が有効です。ここで重要なのは、顧客に「何が欲しいか」を直接聞かないことです。普段の行動パターンや直近の具体的なエピソードといった「事実」を集め、そこから「なぜそのような行動をとったのか?」という背景を解釈することで、社内会議室だけでは出てこない客観的で確かな提供価値が見えてきます。
Q4. すでにリリース済みのサービスですが、途中からこのフレームワークを取り入れても効果はありますか?
A4. はい、リニューアルや改善フェーズでこそ大きな効果を発揮します。長く運営しているサービスほど、機能追加の繰り返しで本来の目的が見失われがちです。「そもそも私たちは顧客に何を届けているのか?」という原点(提供価値)に立ち返ることで、バラバラになっていたUIや体験に一貫性をもたらし、改善の方向性を明確にする「北極星」として機能します。現状の分析やリサーチからの伴走も可能ですので、ぜひご相談ください。








